清朝と帝国主義ヨーロッパ

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。

本日は10月8日、世界史的には1856年「アロー号事件」が起こった日となります。この事件が起こった背景として「アヘン戦争」があり、アロー号事件を契機として起こった「アロー戦争」を「第2次アヘン戦争」とも呼びます。

19世当時ヨーロッパ諸国の帝国主義による植民地争奪戦の中、イギリスでは紅茶の需要が高まり対清貿易で莫大な銀の損失を出していました。そこでインドからのアヘンの輸出による三角貿易でそれを取り戻そうとしましたが、これに対し清朝がアヘンの取り締まりを行ったことに不満を持ち、自由貿易を唱えて戦争を起こしたのがアヘン戦争です。現在で言えばアメリカのトランプ大統領がメキシコの麻薬カルテルの親玉と一緒になって貿易赤字の国に対し麻薬を無理やり輸出し、文句を言ったら戦争を仕掛ける…ようなものでしょうか。

兵器に勝るイギリスはこの戦争で大勝を収め不平等条約(南京条約)を結び、更なる5港の開港、香港の割譲等を受けます。しかし、後の交易で思ったほど利益が上がらなかったため、言いがかりによる更なる有利な条約改訂を目指しました。これが清によるイギリス船の通常の臨検を無理やりあげつらったアロー号事件であり、それに続くアロー戦争でフランスと共に北京を占領、更なる不平等条約(天津条約・北京条約)によって九龍半島の割譲、アヘン貿易の実質公認などを認めさせ、清の威信は地に落ちました。清の国内では民衆の不満があふれ、これが「滅満興漢」のスローガンを掲げた洪秀全の「太平天国の乱」などにつながっていきます。

現在はこの時代と国家の体制などは大きく変わったものの、「貿易戦争とはすなわち本当の戦争につながる可能性が高いものである」という教訓は世界情勢を見るにあたっても考慮すべきものではないでしょうか。

抑えるべきキーワード

・アヘン戦争(1840~42)

・南京条約(1842):
外国公使の北京駐在、開港場の増加、キリスト教布教の自由、外国人の内地旅行の自由等

・アロー号事件(1856)

・アロー戦争(第2次アヘン戦争)(1856~60):
英仏両軍により清の文化の粋を凝らした円明園の徹底破壊・略奪が行われた

・天津条約(1858)(北京条約)(1860):
アヘン貿易の公認化