比企氏の乱と執権政治

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。イギリスの数学者がリーマン予想を証明した、と発表して話題になっているようです。

https://www.asahi.com/articles/ASL9T42NNL9TULBJ004.html

リーマン予想と言えば超難問で知られ、いままでいろいろな天才が証明に挑み、そして散っていきました。証明論文が5ページ?というのはにわかに信じ難いのですが、もし本当だとすると世紀の大発見だと思います。ちなみにこちらが、その証明をしたとうマイケル・アティヤ氏の講演。89歳とは思えないほどしっかりした話ぶりですね。長年の難問を証明といえば、最近だとフェルマーの最終定理でしょうか。証明したのは同じイギリス出身のアンドリュー・ワイルズ。純粋数学の分野でイギリスは相変わらず強い。サー・アイザック・ニュートンの頃から続く伝統があります。

余談でした。

さて、1203年に北条時政が鎌倉幕府の2代目将軍だった源頼家を廃し、実朝(さねとも)を3代目に立てて実験を掌握しました。このとき、頼家の後見だった比企能員(ひきよしかず)が滅ぼされました。1203年の今日10月8日のことです。頼家は伊豆の修善寺(しゅぜんじ)に幽閉され、翌年暗殺されました。

1203年 北条時政、比企能員を打つ(比企氏の乱)

これは執権政治が確立していく過程の出来事です。鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の死後、側近らによる合議制によって幕府が運営されていくのですが、そうした中で力をもっていったのが北条氏でした。関連用語を以下に挙げておきます。

・大江広元
→公家出身。頼朝に招かれて公文所の初代別当(長官)になった。

・公文所(くもんじょ)
→幕府の文書作成や財政を担当する機関。

・政所(まんどころ)
→三位以上の公家の家政機関。

・問注所(もんちゅうじょ)
→幕府の訴訟・裁判機関。

・侍所(さむらいどころ)
→御家人の統率と軍事・警察の役割を担った。

・源頼家
→鎌倉幕府2代目将軍。頼朝の子。頼朝から家督を継承するが、幕府は合議制に移行し、実験を失う。1204年祖父である北条時政によって暗殺される。

・北条政子
→源頼朝の妻。北条時政の娘。頼朝の死後は尼となったが幕府政治に力を及ぼし、尼将軍と呼ばれた。

・北条時政
→北条政子の父。比企氏の乱の後、初代執権となる。

・執権
→政所・侍所の別当を兼務した北条氏の地位を指す言葉。

・北条義時
→時政の子。2代執権。1205年に和田義盛を滅ぼして侍所別当も兼務し、執権の地位を確立した。