こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。
受験勉強に潤いを!特に歴史は暗記科目ですが、実際に生きていた人が織りなす人生のストーリーの積み重ねでもあります。我々の日常のゴシップとなんの変わりもありません、一度登場人物に感情移入してみて、そこに「ロマン」を感じ取れれば、無味乾燥な「歴史的事件」が全く違う身近な物語となります。元モー娘。のアイドルたちのスキャンダルと同じくらいするすると体の中に入ってくるものです。それでは、本日の歴史ロマンをどうぞ!
今日、10月19日はザマの戦いでハンニバル軍が大スキピオ率いるローマ軍に敗れ「第2次ポエニ戦争」が終結した日に当たります。ローマが都市国家として建国し、地中海を征服して世界帝国となっていく過程の中で最も苦しい状況に追い込まれたのがこの「第2次ポエニ戦争」でした。
前6世紀末に共和制となったローマは中小農民の重装歩兵を中核とした優勢な軍事力の元、次々と周辺の都市国家を征服して行きました。前3世紀前半にイタリア半島を統一、その後も勢力を拡大するうちに衝突したのが当時西地中海の覇権をその手に掴んでいた「カルタゴ」の勢力です。そして前264年から前146年まで3回にわたるポエニ戦争が引き起こされるのです。
第1次ポエニ戦争でローマが勝利すると、地中海の支配権はカルタゴからローマへと移り、過酷な条件で講和を結ばされたカルタゴには深い恨みが残りました。そんな中立ち上がったのが、カルタゴの名門出の将軍ハンニバル・バルカであり、当時未開であったスペインの地で力を蓄えたハンニバルは前218年、戦象と約10万の兵を率いてローマ討伐のため第2次ポエニ戦争を開始します。ハンニバルはローマの予想の裏をかき、アルプスを越えてイタリア半島に攻め込みますが、敵地にたどり着くと、過酷な行軍の結果、兵数は当初の4分の1にまで減っていました。
しかし、ここからが歴史上に残る天才戦術家ハンニバル伝説の開幕となりました。ハンニバルは誰も見たことのない包囲戦術を駆使してローマ軍に連戦連勝を重ね、前203年まで約15年間にわたってローマの支配下のゲルマン人等の地域の土着民族の離反を誘いながら、ローマの本拠地イタリア半島を荒らし続けます。ローマが全力を持って当たった決戦はどれもハンニバルの戦略の前に壊滅的な敗北に終わり、特に前216年のカンナエの戦いにおいては、約8万人のローマ軍を約5万のハンニバル軍が包囲殲滅し、ローマ軍の死者6万人、ローマ指導層の4分の1が一度に失われるという前代未聞の大敗を喫しました。これ以降、ローマは「ハンニバルと直接戦っても絶対に勝てない」という認識のもと、ハンニバル軍に陽動をかけつつ逃げ回るという戦術に徹し、2度とイタリア半島内で決戦に及ぶことはありませんでした。
ハンニバルがイタリア半島内でくぎ付けとなっている間に、ローマは将軍大スキピオを中心に「ハンニバルの味方を減らす」作戦に出ます。特にカルタゴ本国を直接攻め、ハンニバルの最も強力なの同盟相手であったヌミディアを寝返らせたことが戦局を逆転させました。急ぎ本国へ戻ったハンニバルと大スキピオが北アフリカのザマで決戦に及んだ際、ハンニバル軍最強の駒であったヌミディア傭兵騎馬隊がローマ方に付いたため、ついにハンニバル軍は破れ、第2次ポエニ戦争も終結を迎えたのです。ローマの恨みは深く、この後カルタゴはローマに軍事権を奪われ、やがていわれのない口実を持って始められた第3次ポエニ戦争で滅亡へと追い込まれ、歴史の舞台から完全に消滅することとなります。
ハンニバルは立場としてはカルタゴの1将軍に過ぎず、さらに本国からの十分なサポートがなく、戦略的な動きはなかなか取れない環境でした。その結果最後に執政官として強大な権力を行使できた大スキピオの大戦略に敗れましたが、当時の超軍事大国ローマをたった一人の指揮で滅亡寸前にまで追い込み、「ローマ最強の敵」として、多くの物語が語り継がれています。また、いわゆる戦術(tactics)と戦略(strategy)のうち、戦術部分については2200年程経った現在でも軍事研究の対象になるなど、他の追随を許さない、まさに「戦術の天才」と言える存在でした。
*アイキャッチはローマに滅ぼされたカルタゴのケルクアンの遺跡です。
世界史 Word Check!
・カルタゴ:
アフリカ北岸、現在のチュニジアにあったフェニキア人の植民都市。ローマがイタリア半島を統一した当時、海洋交易国家として西地中海での交易を独占していた。
・ポエニ戦争:
半島を統一したローマが西地中海の覇権国家カルタゴと3回にわたって繰り広げた戦争。ポエニとはラテン語でフェニキア人のこと。結果ローマはカルタゴを滅ぼし西地中海の覇権を手に入れた。
・ハンニバル:
カルタゴの将、ローマの天敵として第2回ポエニ戦争でローマ軍に大打撃を与える。ザマの戦い後は小アジアに亡命、自殺したと伝えられる。
・スキピオ(大スキピオ):
ローマの将軍・執政官、ハンニバルの勢力圏だったスペインを制圧し、北アフリカにわたりヌミディアを制圧したことでザマの戦いに勝利。孫のスキピオ(小スキピオ)は第3回ポエニ戦争でカルタゴを滅亡させた。