世界が終わらなかった日①キューバ革命

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。

今日10月22日は1962年の「キューバ危機」のさなか、アメリカのJFKことジョン・F・ケネディ大統領がTV演説でアメリカ国民に対し、キューバに対する海上封鎖措置とソ連への対抗措置などを表明した日に当たります。ケネディの勇気は蛮勇だったのでしょうか?人類が史上最も滅亡と背中合わせだったと言われる事件を2回に分けて追ってみましょう。

1959年1月にキューバで親米、軍事独裁のバティスタ政権が倒されるキューバ革命が起きました。首謀者のフィデル・カストロは盟友のチェ・ゲバラ等とともにわずかな人数でゲリラ活動を開始したのち、多くの市民の支援を得て首都ハバナを攻略しました。

カストロは当初アメリカ政府との友好関係維持を表明し、革命政権の承認を求めましたが、アメリカがバティスタ政権に大きな利権を持っていたためカストロを認め難かった上にCIAがカストロを本人が否定していた「共産主義者」とのレッテルを貼るに至り、カストロは反発して、ソ連に急接近しアメリカとの対立を深めていきます。

そして1961年1月にアメリカがキューバとの国交断絶を宣言し、同年4月にアメリカ政府のバックアップを受けた亡命キューバ人1400人が武装してキューバのピッグズ湾に上陸、カストロ政権の転覆をはかりますが、大失敗に終わりました。この「ピッグズ湾事件」のことを第1次キューバ危機とも言います。これをきっかけにアメリカはキューバの経済封鎖を開始、キューバは「社会主義革命」を宣言しその挑発に応えました。

以上の出来事を背景に、カストロはソ連にアメリカの侵攻を防衛できる最新兵器の供与を要求し、これに対しソ連のフルシチョフ書記長は当時アメリカに対し劣勢だった核ミサイルのキューバ配備を要求して、カストロもこれを了承しました。このフルシチョフの行動は、西ベルリンへの侵攻の伏線とも言われますが、客観的にはかなり軽率なものだったと評価されています。

アメリカはソ連のキューバ支援の動きに不自然なものを感じていましたが、ついに1962年10月9日U-2偵察機のキューバ上空偵察により、アメリカ全土を射程圏にとらえるソ連製の中距離弾道ミサイルを発見しました。これに対し大規模な空爆作戦が群から提起されましたが、ソ連との全面戦争を恐れるケネディ大統領の反対にあい、「海上封鎖を実行し事態が進まない場合は空爆実施」という折衷案がまとまり、大統領のTV演説で発表されることとなったのです。

当時東西冷戦の最前線は東西ヨーロッパ、とりわけ東西のベルリンがずっとその最先端の境目でしたが、安全圏から戦っていたアメリカの喉元に突然お膝元のラテンアメリカから匕首が突き付けられた格好となり、アメリカの動揺は大きく、強硬策が優先的に論じられる状況でした。

こうして全面核戦争による人類滅亡へのカウントダウンが始まったのです。

明日の後半に続きます。

世界史 Word Check!

・バティスタ政権(1940~44、52~58):

キューバに成立した親米政権。アメリカ資本と結びつき独裁を行い貧富の差を拡大させる。キューバ革命でバティスタはドミニカに亡命。

・キューバ革命(1959):

カストロ・ゲバラの指導の下ゲリラ闘争によって実現された親米バティスタ政権打倒闘争。アメリカからの侵攻、国交断絶を受け、カストロは社会主義国化を宣言。

・フィデル・カストロ:

世界で唯一成功した社会主義革命と呼ばれるキューバ革命のカリスマ指導者、1959~2008年までキューバ首相を務める。反革命は絶対に許さない独裁者となる。2016没。

・チェ・ゲバラ:

キューバ革命のカリスマ指導者。その後ラテンアメリカ各地の革命に参加した迷惑な人。日本にも来日経験あり、見た目がいいので左翼主義者たちのアイドル的存在。1967年ボリビアで革命の指導中ボリビア軍に殺される。

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