レコンキスタと西洋の逆襲

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。

今日は10月25日、1147年にレコンキスタ(国土回復運動)による戦いで、ポルトガル王国がイスラームの勢力下からリスボンを奪回した日に当たります。他の西ヨーロッパ諸国と違い、中世を通じ長らくイスラム勢力の支配下にあったイベリア半島ですが、どのように西ヨーロッパ文明に復帰したのか、このレコンキスタ運動について確認してみましょう。

711年にムスリム勢力のウマイヤ朝がイベリア半島へと侵入し、西ゴート王国に襲い掛かり、これを滅ぼしました。710年代後半にはそして北部を除いたイベリア半島を完全に支配下に置きます。ウマイヤ朝はその後北上してフランク王国に侵入しますが、732年トゥール・ポワティエ間の戦いで敗れ、これ以降イスラム勢力の活動は、ピレネー山脈以南に限られるようになりました。

ウマイヤ朝は750年、新興のアッバース朝に滅ぼされます。しかしその末裔がコルドバを首都に、736年後ウマイヤ朝を建国、これ以降11世紀まで北部のキリスト勢力を除き大部分のイベリア半島を支配しました。コルドバは西ヨーロッパ最大の人口50万人を擁する華やかな文化の中心都市となりました。ここから野蛮なフランク王国とその後継者たちに、高度なイスラム文化が広まっていき、後にヨーロッパ文明として花開くための基礎になりました。また、スペイン・ポルトガルの気質が他のヨーロッパとかなり違うのはこのような文化的バックボーンがあるためだと考えられます。

しかし、11世紀に入ると後ウマイヤ朝は徐々に衰退を始め、内紛もあり、1031年滅亡します。これ以降は半島北部のカスティーリャを中心としたキリスト教国の力が強くなり十字軍の協力もあり、イスラム勢力との力関係が逆転します。分裂して後ウマイヤ朝の領土を継いだイスラム小国は、カスティーリャへの貢納により命脈を保つようになるのです。一時アフリカからムワッヒド朝、ナスル朝等イスラム勢力の侵入もありますが、体制を覆すには至りませんでした。

そしてレコンキスタの機運が高まるなか、1474年最大のキリスト教国家カスティーリャとアラゴンが統一し新たにスペイン王国が誕生しました。スペイン軍はイベリア半島におけるイスラム最後の根拠地であるナスル朝のグラナダを1492年陥落させ、イベリア半島からイスラム勢力は一掃されました。ここにレコンキスタは終結を迎えます。これは古代から中世にかけて文化的・軍事的に優勢であったアジア圏に対しての西洋の逆襲の第一歩であり、この後世界は西洋の圧倒的で凶暴な進出の前に、近現代までの間ずっと次々とひれ伏していくのです。

ちなみにこのスペイン王国の女王がイザベル1世であり、同じ1492年、彼女がスポンサーをしていたコロンブスが新航路開拓を掲げて新大陸に向けて出航するのです。コロンブスは当時詐欺師扱いされたりもしていましたが、こんなロマンだらけの冒険話がイザベルに現実味を持って捉えられたのは、背後に「レコンキスタ成功の高揚感」というものがあったせいかもしれませんね。

 

※アイキャッチはグラナダのアルハンブラ宮殿です

世界史 Word Check!

・後ウマイヤ朝(756~1031):
アッバース朝に従わずイベリア半島で自立した、ムスリムを君主とする政権。10世紀に最盛期を迎えるが、11世紀に入ると内戦が起こり崩壊した。

・ナスル朝(1232~1492):
レコンキスタに対して巧みな外交で最後まで生き残ったが、1492年スペインに首都グラナダを墜とされ滅亡。グラナダに建設された宮殿兼城塞のアルハンブラ宮殿が有名。

・カスティリヤ王国(1035~1479):
イベリア半島中央部のキリスト教国。レコンキスタの中心的な役割を果たし、後にアラゴン王国と統合してスペイン王国になる。

ポルトガル王国(1143~1910):
カスティリヤから自立してイベリア半島西部に建てられた国。他国に先駆けてインド航路を開拓する。