こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。
今日10月26日はお隣の国、韓国の国力を一代で何倍にも増強させた本来救国の英雄と言うべき存在でもあり、軍事独裁政権の絶対的権力者でもあった朴正煕大統領が1979年に側近に暗殺された日に当たります。
朴正煕は1917年生まれで日本名は高木正雄と名乗っていました。初めは学校教師をしていましたが、満州の士官学校に入り、その後日本の士官学校に留学した後、配属された内モンゴルで終戦を迎えます。その後大韓民国の臨時政府に参加、順調に陸軍大佐まで昇進を続けました。当時朝鮮戦争で混乱し、腐敗が深刻化していた国の内情を憂い、1959年に改革派の将校を率い軍事クーデターに成功します(5.16軍事クーデター)。その後形式のみの民政移管を行い、自身の政党である民主共和党による1党独裁を形成して、第5代から第9代までの16年間大統領を5期にわたって務めました。
独裁政権下では反対を押し切って日本の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日韓基本条約を批准して日韓両国の国交を正常化しました。これにより朴正煕大統領は親日だと言われますが、実際には反日教育を義務教育に取り入れた人物でもあり、経済大国日本をうまく利用した、と言うのが正しい評価となるでしょう。更にアメリカ合衆国のリンドン・ジョンソン大統領の要請を受けて1964年にベトナム戦争に韓国軍を派兵した事などにより、日米両国の経済支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成しました。大韓民国は1960年代から1970年代にかけてのこの朴正煕執政下の高度経済成長により、1970年頃まで劣勢であっ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を経済的に追い越し、最貧国グループから脱し、自由主義陣営を担う一員としてのポジションを不動のものとしたのです。更には経済的な先進国グループ入りするための基盤もこの時代に出来上がりました。
まさに韓国人にとっては英雄的存在ですが、一方で統制的な軍事政権下では民主化などの運動は徹底して弾圧され、人権上問題のある拷問や政治犯の投獄なども行われました。そして、韓国芸能界の若くて有名な女優・歌手を毎晩のように官邸に招待し、浮名を流すなど、独裁者らしい一面も見せました。また対外政策においてもアメリカとの強固な同盟関係を作り出したベトナム戦争において、虐殺や戦争犯罪に関与することで、ベトナムとの外交関係は悪化しました。そして、政権後半には単独での核武装などの自主国防路線や、日本に滞在していた民主化活動家の金大中を諜報機関(KCIA)を使って拉致し国家主権を侵害する(金大中拉致事件)など強硬な左派勢力弾圧政策を進め、一身に恨みを買ったのです。そして、1979年10月26日、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、酒宴の席で側近である金載圭情報長官により拳銃により暗殺されました。死後の韓国内では、朴正煕の業績の評価は非常に大きく、保守政権はもちろん左派もある程度認めざるをえず、韓国を発展させた指導者として一般国民からの人気は高止まりし、それが2012年、朴正煕の娘として、日本で言えば小泉進次郎以上の人気者となった朴槿恵のアジア初の女性大統領当選につながりました。
しかし、昨年韓国左派マスコミ・勢力の扇動により起こった民主革命であるろうそくデモにより、政権は倒れ、日本では考えづらいことですが、民主的な通常選挙で選ばれた朴正煕の娘である朴槿恵大統領が罪状無いままに「何らかの罪を犯しているに違いない」との民衆のコンセンサスの元、抗うこともなく民衆の言うがままに逮捕・拘束され、今年の8月17日に懲役25年、罰金20億円の実刑判決を受けました。これに対し収監中の朴槿恵は控訴しませんでしたが、政権の意向を忖度する検察側が「罪が軽すぎる」として、控訴を行いました。そして親北朝鮮のスタンスを貫き、朝鮮民族統一国家を国是として掲げる左派の文政権の元、現在その父親、朴正煕は「北朝鮮との対立を煽った民族の敵」として政府・メディアに扱われており、国民にもその認識が広まってきています。韓国という国の特徴として、政権交代が行われると、反対勢力への弾圧が徹底的に行われ、誰もそれに疑問を抱きませんし、抱くことで日本で言う村八分以上の扱いをされます。北朝鮮、金正恩のスポークスマンと呼ばれる大統領が率いる政権が高い支持率を集める限り、ますます朴正煕の業績が無視され、悪のレッテルを貼られる状況が続くのはやむを得ないと言えるでしょう。
世界史 Word Check!
・開発独裁:
政府主導の経済発展政策を効率的に遂行するために正当化された強権的な政治。
・韓国軍部クーデター:
1961年朝鮮戦争終結時のごたごたの中行われた無血クーデター。朴正煕が実権を握り、開発独裁による経済発展を導いた。
・朴正煕:
韓国の軍人・大統領。1961年クーデターで権力を握り、1963年」大統領になった。アメリカ・日本との関係を深め日韓基本条約を結び、在任中は非常に高い経済成長率を記録。1979年側近によって暗殺された。
・日韓基本条約:
朴正煕大統領と佐藤栄作内閣の間で調印された国交回復の条約。韓国併合条約の失効を確認、韓国を朝鮮半島にある唯一の政府と認めた上で、日本から韓国の国家予算数年分にのぼる無償経済援助が行われた。両国間の請求権の完全かつ最終的な解決が明記されたが、2018年になって日本に対する個人請求を新たに認める判決が下されようとしている。