伊藤博文と松下村塾

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。10月26日です。1909年の今日、伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺されるという事件が起こりました。伊藤博文と言えば、初代内閣総理大臣であり、大日本帝国憲法(明治憲法)制定の中心的人物で、立憲政友会の初代総裁でもあります。

ちなみに、現在1000札に描かれている肖像画は野口英雄ですが、その前は夏目漱石、そしてその前の旧々1000円札の肖像画は伊藤博文で、1963年(昭和38年)~1986年(昭和61年)まで発行されていました。ちなみに日本で初めての1000円札に使われたのは聖徳太子です。聖徳太子は他にもさまざまなお札に使われています。

さて、伊藤博文は周防国(すおうのくに、現在の山口県)の生まれで、16歳の時に当時吉田松陰が運営していた松下村塾に入り、そこで高杉晋作や井上馨らと知り合うことになります。松下村塾は江戸時代に作られた私塾の一つで、他には緒方洪庵の適塾(後の大阪大学)、シーボルトが作った鳴滝塾などが有名です。

私塾は著名な学者が私的に作った教育機関ですが、各藩には藩の子弟を教育するための藩校や、庶民の教育機関として寺子屋がありました。藩校に入るには入学試験に合格する必要があり、入ってからも試験続き、何度も落第すると相続の時に家禄の減俸につながるといった厳しい規定を設けていたところもあったようです。

※アイキャッチは松下村塾の史蹟

日本史 Word Check!

・松下村塾:
長州萩(ながとはぎ、現在の山口県萩市)にあった私塾、吉田松陰の伯父玉木文之進が開きのちに松陰が引き継ぐ。高杉晋作ら尊攘討幕派の人材を排出。

・適塾(適々斎塾):
緒方洪庵が大阪に開いた蘭学塾。福沢諭吉、大村益次郎、橋本佐内らが学ぶ。

・鳴滝塾:
シーボルトが長崎市郊外の鳴滝村に開いた医学塾。