オスマン帝国の興亡

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。本日10月30日は1918年の今日、第2次世界大戦でオスマン帝国が聯合国に降伏した日に当たります。

オスマン帝国は14世紀から20世紀のほぼ600年に渡り、イスラム国家の政治・経済・文化の中心として存在しました。特に1453年にはコンスタンティノープルを陥落させ、イスタンブールと改名することで、約1500年続いた東ローマ帝国を滅ぼしアナトリア半島を中心に発展していきます。

16~17世紀頃のオスマン帝国はヨーロッパ諸国に対し圧倒的上位の国力を誇り、バルカン半島へと版図を拡大していきました。スレイマン1世の治世(1520~1566)がその絶頂期で、ハンガリー征服、ウィーン包囲とその軍事力の優位性を大いに見せつけ、存亡の危機としてヨーロッパ諸国は震え上がります。また、大国の余裕とイスラムの伝統からヨーロッパ商人には「カピチュレーション」(居住・通商の自由)が認められ、そこから広まったイスラム文化はその後ヨーロッパ文化に大きな影響を与えました。1571年の「レパントの海戦」はオスマン帝国を教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍が破り、ヨーロッパが一矢を報いたことでオスマン帝国の西進を阻み自信を取り戻した事件ですが、両者の力関係に大きな変化はありませんでした。

その後18世紀に入ると力を付けたロシアやハプスブルグ家との争いを繰り返し、オスマン帝国の勢力は次第に弱まっていきます。そしてそれ以降はヨーロッパの技術文明の発展に対抗できず領土を切り取られていき、ドイツ側で戦った第1次世界大戦の敗戦後、イギリスの3枚舌外交と揶揄されるサイクス・ピコ協定、フサイン・マクマホン書簡、バルフォア宣言等によるオスマン帝国領土分割政策とケマルパシャの台頭により、ついに1922年帝政が廃止され、オスマン帝国はその歴史を閉じるのでした。

試験において出題の中心となるのはヨーロッパ世界となりますが、対抗勢力となるイスラム世界についても十分に流れを掴んでおきましょう。

世界史 Word Check!

・ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の滅亡(1453)
コンスタンティノープルの陥落によりローマ帝国の後継者が消失し、
キリスト教勢力は現在の中近東より駆逐される。

・第1次ウィーン包囲(1529):
スレイマン1世によるハプスブルグ帝国の都ウィーンの攻撃。
天候の急変で撤退するが、イスラム勢力の力を見せつけた。

・カピチュレーション:
ヨーロッパ商人に認められたオスマン帝国内での居住・通商の自由。
恩恵的特権だったが、帝国の国力が弱まると事実上の不平等条約となった。

・サイクス・ピコ協定:
トルコを除くオスマン帝国領をイギリス・フランス・ロシアの3カ国で山分けしようとした秘密協定。他の協定を含め、イギリスは恥知らずな3枚舌外交で、現地の勢力にも渡すつもりのない分け前を約束し、互いに争わせて甘い汁を吸おうとした。現在の中東問題は全てここに始まると言ってよい。