こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。ハロウィンです。渋谷は今晩も荒れるのでしょうか。
さて、1517年の今日10月31日、ヴィッテンベルグの城教会の門扉に1枚の文書が張り出されたことが宗教改革の発端となり、カトリックとプロテスタントを分裂させ、それ以前と世界は大きく変わりました。これがマルティン・ルターによる「95か条の議題」です。カトリック教会が腐敗し、「贖宥状(免罪符)」の販売に手を染めたのがその引き金となりました。このルターによる協会批判はラテン語で書かれていましたが、直ぐにドイツ語訳が作られ活版印刷でドイツ中に大きな論争を呼び起こし、1560年ごろのカトリックとプロテスタントの分裂や、イングランド国教会の独立をもたらしました。
以上が現在教科書にも載っている通説ですが、その後の研究から「ルター物語」は実際には後の世に作られた宗教改革の神話であり、ルター以外にも宗教改革家は同時期に大勢いてそのうちの一人にすぎないのに持ち上げられすぎである!とか、ルターを「偉大な賢人」「宗教改革の指導者」と描写する「よくある記述」は、完全に作り上げられたものである!との批判が行われています。しかし、この多分に嫉妬交じりの批判もこの宗教改革の意義のあまりの大きさ故、と考えれば、慎重な評価になるのは仕方ない部分もあると言えるでしょう。ただし、この時代の大きな改革のうねりの中心に終止ルターの存在があったことは間違いなく、ほぼ通説に近い偉業を担当していたことも間違いありません。
本来カトリック内部の改革を志したと思われるルターですが、迫害されると対決姿勢を取り、信仰についての著書を表します。これが現在までプロテスタントの信仰の土台となる「人は信仰によってのみ義とされる」と言う考え方で、カトリック側の「教皇が認めた善行を行うことが魂の救済である」とする、そのまま贖宥状の発行による教皇レオ10世の「濡れ手で粟」商売是認につながる行為重視の考え方を厳しく批判しました。
その後ルターは「新約聖書」をドイツ語訳した事により、近代ドイツ語の確立に寄与したり、ルターの教えを受けた農民により一揆(ドイツ農民戦争)が起こったり、その際鎮圧側に回ったりと目まぐるしく動く時代の中心でありましたが、これらは全てこのころの封建制度およびローマ教皇のキリスト教徒の独占支配体制が腐敗にまみれタガがゆるみきっていたためであるといえるでしょう。
なお、信教の誕生を認めざるを得ず、自分たちの支配する信者の数が半分程度に減るという悪夢のような結果を目にしたカトリック教会側は反省し、ある意味ルター以上の信仰的、制度的な内部改革・刷新に乗り出します。これが「反宗教改革」であり、現在に見るカトリック体制はこれをもとに成立している改められた組織と言っていいでしょう。
ちなみに当時の教皇レオ10世は美麗な建築大好きの困った教皇で、放蕩三昧で教皇庁の財政を危機に追い込みました。そのせいで贖宥状などを販売する羽目になりましたが、そのインフラ構築費用のおかげで数多くの芸術家が輩出し、ルネッサンスが花開いたという側面もあるのが歴史の面白い所です。
世界史 Word Check!
・宗教改革:
16世紀のカトリック世界で起こった信仰と教会制度の大改革。ドイツから始まり各国に広まった。以後改革派が新教、カトリックが旧教と呼ばれる。:
・贖宥状(免罪符):
カトリック教会が発行した罪の許しを表す証明書。サン・ピエトロ大聖堂の新築費用を集める目的などで発行された。
・マルティン・ルター:
ドイツの宗教改革を指導した神学者。ルター派教会設立など新教派の指導と同時に、聖書のドイツ語訳により、近代ドイツ語の確立も促進された。主著は「キリスト者の自由」。