清を支えたヨーロッパの狙い

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。

本日11月2日はイエズス会により中国に派遣されたイタリア人宣教師カスティリオーネが1715年初めて清朝の「康煕帝」に拝謁した年に当たります。カスティリオーネはその後、「雍正帝」「乾隆帝」と清朝がその国力の絶頂を誇った3代に渡って宮廷画家として仕えた人物です。我々が今日教科書で見るこの歴代皇帝の肖像画はカスティリオーネの筆によるものとなります。

彼が初めに仕えた康熙帝(在位1661~1722)は清の第4代皇帝で、唐の太宗と共に中国史における最上の皇帝の一人として名高い人物です。反対勢力を鎮圧し、清による大陸支配を安定させ、側近にイエズス会の外国人を置き、西洋の進んだ科学を積極的に取り入れました。例えばフランス出身のイエズス会宣教師であったブーヴェ等に命じ、中国史上初の実測による全国地図「皇興全覧図」を上程させました。

その子の第5代雍正帝(在位1722~1735)は康熙帝の死後キリスト教を廃して国内の宣教師を追放しましたが、宮廷につかえていた宣教師については引き続き仕えることを認めました。勤勉な皇帝で、離宮・庭園である円明園の造成に着工し、その西洋館の設計にカスティリオーネは参加します。その後円明園は歴代皇帝により整備・拡張されますが、アロー号事件により廃墟と化すことになります。

第6代の乾隆帝(在位1735~1796)は清の最盛期の皇帝で、外征を繰り返し清の領土は最大となります。また、文化の爛熟という点では中国史上でも最高の時代の一つと評価されるほどの隆盛を見せます。しかし治世の後半に入ると退廃が芽生え、カスティリオーネの死後となりますが、中国におけるイエズス会の活動を禁止し、完全な鎖国体制に入ってしまうことで、のちの欧米の侵攻に対する清政府の抵抗力を奪ってしまったとの評価を受けています。また、祖父康熙帝の治世61年を超えてはならないという名目で十五男の永琰(嘉慶帝)に譲位し太上皇となりましたが、その実権は手放さず、院政を敷いた晩年は老害をまき散らしました。

この3人の皇帝の治世で驚くのが、3人の在位年数が1661~1796と1.5世紀近くに渡っていることで、安定した国力に支えられ、中国史上もっとも繁栄した時代といえるでしょう。裏を返せば、これだけの期間舌なめずりをしながらイエズス会のもたらす富める国、清の情報を分析していたヨーロッパ諸国がずっと高めてきた軍事技術とともにいよいよこれから清に襲い掛かっていくのです。

世界史 Word Check!

・カスティリオーネ(1688~1766中国名:郎世寧):
イタリア出身のイエズス会宣教師、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の3帝に宮廷画家として仕え、遠近法などの西洋画法を伝えた。円明園の西洋館設計にも参加した。

・「皇興全覧図」:
中国初の実測による全国地図。ブーヴェらが10年に渡り測量を行い、1717年完成。1719年に康熙帝に上程された。

・円明園:
北京の北西郊外に造られた清朝の離宮・庭園。皇子時代の雍正帝が着工し、歴代皇帝により整備・拡張された。アロー戦争末期英仏軍の略奪で廃墟になった。

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