ナタ・デ・ココと細川ガラシャ

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。3日ほど前に書いた『ベルリンの壁、バブル景気、ティラミスとゆりあん』に反響があって、「ティラミスの大ブームがあったなんで知らなかった」というものでした。ありがとうございます。

ティラミスが日本人に知られるようになってから数年後、もう一品ナタ・デ・ココの大ブームが起こりました。1993年のことです。ナタ・デ・ココは、”ココナッツの汁を発酵させたゲル状のもので、フィリピン発祥の伝統食品”(Wikipedia)で、現在でも多くの人が食べたことがあると思います。多くの日本人がスーパーでナタ・デ・ココを買いあさっていました。

1993年、国内では元熊本県知事で日本新党の党首だった細川護熙を首相とする非自民党政権が誕生して55年体制が終わり、Jリーグが発足し、ヨーロッパではECがEUになりました。

細川政権は短命でしたが、政治改革として衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入しました。小選挙区制度というのは、1つの選挙区で得票数が1位だった候補者のみが当選する仕組みです。一見すると最大得票者が議席を得るので合理的に見えますが、選挙は政党を選択するという側面があり、投票先は候補者個人より政党名で選ばれる場合も多いと考えられます。この場合、規模の小さい小政党から立候補している候補者はどの選挙区でも勝つことが難しくなりますが、選挙全体で見ればその候補者の所属政党は一定の得票率を獲得していると言えます。そこで得票率に応じて議席を割り当てるのが比例代表制です。当選に結び付かなかった投票を「死に票」と言いますが、比例代表例は少しでも死に票を減らし、多用な民意を議会に反映するための方策と言えるでしょう。

1996年以前の衆議院議員選挙では、一つの選挙区で複数の当選者を出す中選挙区制が採用されていました。中選挙区制のもとでは、同一政党内の候補が互いに争うことになります。結果として政党同士が政策を掲げて議席を争うのではなく、むしろ同一政党(自民党)内で作られる派閥がいわば疑似政党として選挙を主導し、候補者は他の候補者よりも得票を得るため、後年会を通じて地元へのサービス(特定団体への利益誘導など)を行う傾向が出てしまうと指摘されていました。そこで、こうした点を是正するために小選挙区比例代表並立制が導入されたのです。ただ、海外でも比例代表制を採用する国は多いですが、それをどのくらの割合にするかは国によって異なり、また比例代表制自体にも課題があります。民主主義は古代ギリシア・ローマ時代からある考え方ですが、それを実現するための模索は現在でも続いており、本当に民主主義が政治体制として正解なのかについても、さまざまな議論がありえます。

ちなみに、細川護熙元首相は戦国大名細川忠興(ただおき)の子孫です。細川忠興は信長と秀吉に仕え、現在まで続く肥後細川家の初代当主となった人物ですが、妻は明智光秀の娘・玉子、通称細川ガラシャです。キリスト教徒だった細川ガラシャの波乱の生涯については、小説やオペラ、アニメなどになっています。

日本史 Word Check!

・細川護熙内閣(1993~94)
非自民の7党及び参議院の1派による連立政権。55年体制を終わらせ、衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入した。

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