治承・寿永の乱

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。1183年の今日、治承・寿永の乱のうち水島の戦いが行われました。治承・寿永の乱は、平氏の専制政治に対する不満を持った源氏が平氏を倒し、鎌倉幕府の成立のきっかけになっていく出来事でした。水島は備中国水島(現在の岡山県倉敷市)ですが、日本史の学習としては水島の対岸のような位置にある屋島(現在の香川県高松市)で行われた屋島の戦いを押させておくとよいでしょう。

1185年2月、源義経が率いた軍勢が平氏の背後から急襲をかけました。そして夕刻の時間になって、この場面が生まれます。

ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、 磯打つ波も高かりけり。舟は、揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸には源氏、くつばみを並べてこれを見る。陸には源氏、くつばみを並べてこれを見る。与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り白害して、人に二度面を向かふべからず。

平家物語「扇の的」。那須野与一は見事に扇をひゅーっと射切ったのでした。中学生の時、これを古典の教科書で学んだ人も多いのではないでしょうか。

それでは鎌倉幕府の成立に至る過程を簡単にまとめておきましょう。

1180年:源頼朝が鎌倉へ入る
1180年:侍所設置(別当、和田義盛)
1184年:公文所設置(別当、大江広元)
1184年:問注所設置(執事、三善康信)
1185年:守護・地頭設置
1189年:欧州総奉行設置
1192年:源頼朝、征夷大将軍に就任

日本史 Word Check!

・源義経
源頼朝の弟。幼名は牛若丸。武蔵坊弁慶は忠臣。治承・寿永の乱で大きな功績をあげるもその後頼朝と対立、藤原泰衡(やすひら)に責められて自害。判官贔屓という言葉の由来にもなった。恋人だった静御前は、21世紀の現代日本で国民的アニメのヒロイン源静香として活躍中。