【世界史】トリエント公会議と対抗宗教改革について徹底解説!

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。

今日は11月28日、1563年に現イタリア領トリエント(トレント)において、1545年から約20年の長きにわたり、何度も中断をはさみながら続いていたカトリックの「トリエント公会議」が終了した日に当たります。

トリエント公会議とは

「公会議」と言われてもピンとこない方が多いと思いますが、これはキリスト教において全世界の教会から司教等の正規代表者が集まり、教義・典礼・教会法などについて審議決定する最高会議のことを指します。

西暦325年にキリストの神性の確認のために第1回の公会議がニカイアで行われ、その後787年に行われた第7回の第2ニカイア公会議までが西のローマカトリックおよび東の正教会が共通して認める公会議となり、それ以降の「公会議」はカトリック教会が主導しているものとなります。

ところでカトリック教会において、中世に向かい、教皇の権力が強くなるにつれ公会議はだんだんと開かれなくなります。教皇派はフリーハンドで教会権力を牛耳り、そして腐敗が行き過ぎ、教会が贖宥状の販売で懐を潤すような状態に人々が疑問を感じ始めたときに出てきたのがマルチン・ルターだったのです。ルターの宗教改革はやがてカトリックそのものの批判へとつながり、ついには教皇も綱紀粛正に動かざるを得なくなりました。

こうして1545年カトリックサイドから300年ぶりに開かれたのが「トリエント公会議」だったのです。この公会議の初期の狙いはプロテスタントとの決定的な分裂を回避し、妥協点を見出すことでしたが、カトリック教会が自らの教義を再確認することでかえってプロテスタント陣営の主張との違いを際立たせることになり、結局プロテスタント側への糾弾に至りました。

具体的には、教会改革に関連して司教の定住、司祭の養成機構の充実など聖職者の世俗化を防止する対策が決定され、贖宥状の販売や金銭による取引を禁止しつつも依然「贖宥」の意義は保たれること、聖人や聖遺物の崇敬、煉獄や諸聖人の通効といった(聖書というよりは)教会の伝統に由来する教義が依然有効なものであることを認めました。

こうして自らの教義を再確認し、カトリック教会からすべての汚れを洗い流そうとしたトリエント公会議は20世紀にいたるまでカトリック教会の方向性に大きな影響を与えつづけた重要な会議となりました。次に公会議が行われるのは実に300年後のことです。

もしルターの宗教改革がなく、カトリックがその傲慢さを自覚せずにいたら、今日キリスト教は道徳的に見捨てられた存在となり、その影響力は非常に小さく限定されたものになったかもしれませんね。

*アイキャッチはバチカンのサンピエトロ寺院

世界史 Word Check!

・対抗宗教改革:

宗教改革の進展に打撃を受けた旧教側が信仰上・道徳上の刷新を目指した動き。

・トリエント公会議:

イタリアのトリエント(トレント)で開かれた宗教会議。はじめ新旧両派の調停を目的に開かれたが、新教側がほとんど出席せず、旧教側の思想確認の場となった。教皇の至上権を確認、最初の禁書目録を制定した。

・禁書目録:

協会が反カトリック的と判断し、その読書と所有を禁じた書物と著者のリスト。1966年に廃止された。

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