こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。
今日は12月11日、1981年にボクシング史上最高のチャンピオン、モハメド・アリが引退した日に当たります。
「蝶の様に舞い、蜂の様に刺す」というフレーズでお馴染みであり、デカイ大柄の男の殴り合いの世界にアウトボクシングを持ち込んだモハメド・アリは間違いなくボクシングヘビー級史上最強のボクサーの一人ではありますが、他にもジョー・ルイスやジョージ・フォアマン、レノックス・ルイス、マイク・タイソンといった「我こそ最強」を歌うチャンピオンたちが綺羅星のごとくボクシング史を彩ります。しかし、それでもモハメド・アリこそが20世紀最大のスーパースターの一人であり、ボクシング界では並ぶ者のない永遠のチャンピオンなのです。
ローマオリンピックで金メダルを獲得した黒人青年カシアス・クレイは、試合後レストランに入ろうとしたところ「黒人お断り」と言われたため、「こんなものに意味はない」と金メダルを川に投げ捨てます。また、プロ入り後は、マイノリティであるネーション・オブ・イスラム信徒であることを公表し、リングネームをモハメド・アリとしました。そして、当時の最強チャンピオンソニー・リストンに挑んだ世界タイトルマッチでの勝利後、正式に本名をモハメド・アリに改名したのです。
アメリカが本格参戦したベトナム戦争への徴兵をアリが「自分は良心的兵役拒否者だ」と述べ拒否したことから、彼はアメリカで最も嫌われている有名人となり、世間からさんざんなバッシングを浴びせられました。有名なアスリートが公然とベトナム戦争を非難することは、当時は冒涜と考えられていたのです。ついには無敗のままWBA・WBC統一世界ヘビー級王座を剥奪され、ボクサーとして全盛期に当たる25〜27歳の3年7か月の間リングに立つことができませんでした。
しかし彼はリングでなく法廷で自分の信念のために戦い続け、「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。そんなシステムを政府が作っている」と、政府批判を繰り広げました。そして戦争を支持するアメリカ人は減り続け、アリは1971年、有罪判決の破棄を勝ち取りました。この戦いにより、アリはアメリカ人の意識に変化をもたらす革命を引き起こしたと評価されたのです。
このブランクはアリのスタイルから足を奪い、アウトボクシングは見る影もなくなりましたが、復帰後、インファイトに徹した壮絶な打ち合いを繰り返し、実力で王座奪還を果たしました。またこの後は露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返し、その後公民権運動などの貢献が称えられ、ドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞しました。1981年にボクシングを引退、その後パーキンソン病で苦しみましたが、2016年死去、享年74歳でした。常にマイノリティの立場から巨大な権力と戦い続けたアリはボクサーの立場をを超えた偉大なるチャンピオンとして、「ザ・グレイテスト」と呼ばれ尊敬を集めています。
なお、モハメド・アリは異種格闘技にも関心を持っていて、1976年アントニオ猪木とまさかのボクシングvsプロレス「格闘技世界一決定戦」を行いました。これは現在では頻繁に行われている異種格闘技戦の先駆けとなる試合であったと言われています。
世界史 Word Check!
・公民権運動:
南北戦争後も州法などに残った黒人差別を撤廃させる運動。アフリカ諸国の独立やベトナム戦争参戦で1960年代に盛り上がる。
・マルコム・X:
アメリカの黒人公民権運動活動家。ネーション・オブ・イスラム (NOI) のスポークスマン。モハメド・アリに思想的に大きな影響を与えた。