みなさんこんにちは。代ゼミサテライン予備校北千住校です。
1910年の今日、徳川好敏(とくがわよしとし)という陸軍中尉が、日本で初めて飛行機によって空を飛びました。江戸時代中期に徳川氏の一族から分立した大名家である御三卿の一つ清水徳川家8代目の当主にあたる人でした。
有人飛行と言えば、アメリカのライト兄弟のことを知っている方も多いと思います。1903年に世界初の有人動力飛行に成功しました。日本での初飛行はその7年後なのであまり時間差がなかったと言えるかもしれません。
さて、ライト兄弟が自転車屋を経営しながら有人飛行の実現に向けて研究を続けていた当時、他にも多くの人が同じ目標を持って活動していました。中でもサミュエル・ラングレーという人は、学識や地位もあって資金も豊富、優秀なスタッフを抱えており、ニューヨークタイムズなどもメディアからも注目をされていました。
しかし、実際に初めて有人飛行に成功したのはライト兄弟であり、歴史に名を残すことになりました。ライト兄弟自身やそれを手伝った人たちは誰も大学レベルの教育を受けておらず、またどこのメディアからも注目さていませんでした。
ではなぜ無名のライト兄弟が成功し、成功に最も近いと思われたラングレーは成功しなかったのか。ラングレーはライト兄弟の成功を聞くと飛行実験をやめてしまったといいます。
この物語は以下のURLで詳しく見ることができます。皆さんの将来に役に立つ動画だと思います。