モース博士と明治日本

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。

12月20日は、大森貝塚の発見で有名なアメリカ人教授エドワード・S・モース博士の命日にあたります。モース博士は1925年の今日87歳で亡くなりました。学生の頃より生物学に造詣が深く、大学で助手などを務め、大学卒の学歴がないのに、31歳でボウディン大学の教授に就任しました。そしてモース博士が腕足動物の研究のために来日したことが、日本の考古学の始まりとなったのです。

モース博士は来日すると東京大学の動物学・生理学教授への就任を請われ、東大法理文学部の教授に就任。その際、設立されたばかりの東大の外国人教授の大半が研究実績も無い宣教師ばかりだったため、これに呆れたモースは彼らを放逐すると同時に、日本人講師と協力して専門知識を持つ外国人教授の来日に尽力しました。さらに計2,500冊の図書を購入し、寄贈することで、東大図書館の基礎を作りました。

1877年横浜駅から新橋駅へ向かう汽車の窓から貝塚を発見。学生や助手とともにこれを掘り始め、出土品を教育博物館に展示しました。この報告の際モース博士が名付けた「cord marked pottery」が、日本語の『縄文土器』となりました。さらに土器についた指紋から、世界初の指紋捜査の研究も大森貝塚から始まったのです。

その後何度かの帰国、来日を繰り返すなか、講義でダーウィンの進化論を紹介したり、著書「日本その日その日」でアメリカに日本文化を広めたり、日本初の学会「東京大学生物学会」の発足に関わるなどモース博士は長きにわたり日本の教育分野の発展に大きく寄与したのです。ちなみにモース博士の終の住処であったマサチューセッツ州セイラムは、魔女裁判で有名な街ですが、この縁で現在大田区と姉妹都市になっており、交流も盛んです。

なお、従来実際にモース博士が掘った大森貝塚の正確な位置が大田区説と品川説の2種あり、両方に石碑が建てられていましたが、現在では品川区側だったことが分かっています。このため本当は大森でなく「大井町貝塚」としたほうが正確かもしれません。

余談ですが、試験ではよく「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のクラーク博士との混乱を狙うような出題がなされますので、気を付けてください。

 

*アイキャッチは「大森貝塚遺跡庭園」

日本史 Word Check!

・外国人教師:
明治初期、西洋の学問・技術導入のため政府機関・学校に雇われた欧米人。お雇い外国人と呼ばれ、ピークの1874年には858人を数えた。

・フェノロサ:
モース博士の尽力で来日。東大で哲学などを講義、日本美術を高く評価し、この紹介に力を注いだ。