赤とんぼと1921年

赤とんぼ

こんにちは、代ゼミサテライン予備校北千住校です。先日、赤とんぼの歌を久しぶりに聞く機会がありました。

夕焼、小焼の、
あかとんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。

という歌詞をご存知の方も多いと思います。作詞は三木露風、作曲は山田耕作で大正10年に発表された作品です。物悲しい歌詞ですね。後半特に。

大正10年は1921年で、当時の内閣総理大臣は高橋是清です。余談ですが、『高橋是清自伝』は本当に面白いです。自叙伝と言えば、福沢諭吉の『福翁自伝』が有名ですが、個人的にはこれに負けず劣らず良い本だと思います。いつか機会があれば読んでみてください。とてもユーモアのある文章で、読んだ後は、教科書の文章がより立体的に深く読めるようになると思います。

さて、1921年~22年はワシントン会議が行われた年でもあります。アメリカ大統領ハーディングが提唱したもので、海軍の軍縮などを目的にしたものですが、ワシントン会議から生まれた条約としては、以下3つがあります。

・四カ国条約(米・英・日・仏)
→太平洋の平和に関する条約。これにより日英同盟は破棄。

・九か国条約(四カ国条約国+イタリア・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国)
→中国の主権尊重・門戸開放・機会均等を定める。日本側は石井・ランシング協定を破棄して、山東省における旧ドイツ権益を返還。

・海軍軍縮条約(米・英・日・仏・伊)
→主力艦保有率を米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67と規定。10年間の主力艦の建造禁止。

ワシントン会議における日本側の全権は海軍大臣の加藤友三郎と駐米大使の幣原喜重郎でした。こうした協調外交は次の加藤高明内閣でも継続していき、外相になった幣原喜重郎の名前をとって「幣原外交」と呼ばれています。

なお世界史から見ると、1921年には中国共産党が成立、1922年にはソヴィエト社会主義共和国連邦樹立宣言が出されています。